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助成番号
96_2_2_22
研究テーマ(和文)
シベリア鉄道と日本
研究テーマ(欧文)
Japanese Concern for the Trans-Siberian Railway
研究代表者
氏名
カタカナ
イナバ チハル
漢 字
稲葉 千晴
ローマ字
Inaba, Chiharu
研究代表者年齢
38
研究期間
1996〜1998年
報告年度
1998年度
研究体制
共同研究
研究代表者所属機関・職名
東洋英和女学院大学 短期大学部・助教授
※所属、氏名、年齢は助成対象決定時のものです。
 

シベリア鉄道は、1891年2月24日にペテルブルクで建設が決定され、3月29日、勅令が公布された。西側ではウラル山脈東方のチェリャビンスクから東へ、東側ではウラジヴォストークから西に向けて建設が開始された。当初は、中国・ロシア国境に沿って作られる予定だった。ところが日清戦争後ロシアは、1896年に清と交渉して、満州を経由でウラジヴォストークまで鉄道を敷く権利をえた。この東清鉄道にくわえて、98年3月には旅順と大連を租借し、ハルビンから南下する東清鉄道南部支線の敷設権まで清から獲得した。ロシアが、鉄道という戦略的輸送手段を確保した上で、満州・朝鮮に進出してきた。

 
日本も、いやおうなくロシアの極東進出に関心を高めなければならない。しかし、情報収集が遅れ、ロシアの極東進出を外交上阻止することができなかった。陸軍の福島安正・田中義一や外務省の川上俊彦などのロシア通が、シベリア鉄道情報を継続して収集した。1904年に日露戦争が勃発すると、日本はロシア兵力を判断するのに、シベリア鉄道の輸送量を参考にした。ヨーロッパの明石元二郎大佐らに命じて、シベリアにスパイを派遣し、輸送量を調査させたのである。参謀本部ロシア班は、その情報を集計して敵兵力を計算した。この計算によると、極東ロシア軍の兵力は1905年末には百万人に達するというものであった。ところが、直接戦闘にかかわる兵力は、日本が考えていたほど多くはなかった。
 
日本は日露戦争に勝利した。これは、シベリア鉄道の輸送量が、ひいては極東ロシア軍兵力が、予想よりも少なかったことに起因する。それは、シベリア鉄道が、日本が考えるほど順調に運行されていなかったからである。「鷹揚」な、悪く言えば「いいかげん」なロシア人気質を十分理解せず、几帳面な日本人の感覚として、シベリア鉄道の輸送力を計算したことに原因が求められよう。こうした過大評価が日本では第二次大戦まで続いた。
 
 
 
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