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助成番号
96_2_1_12
研究テーマ(和文)
世界映画史と鉄道文化の研究
研究テーマ(欧文)
A Study of World Film History and Railway Culture
研究代表者
氏名
カタカナ
カトウ ミキロウ
漢 字
加藤 幹郎
ローマ字
Kato, Mikiro
研究代表者年齢
38
研究期間
1996〜1997年
報告年度
1997年度
研究体制
個人研究
研究代表者所属機関・職名
京都大学 総合人間学部・助教授
※所属、氏名、年齢は助成対象決定時のものです。
 

列車と映画が相性がいい理由は大きく分けてふたつある。ひとつは歴史的必然性と呼びうるもの、いまひとつは両者の構造的相同性に由来するものである。

 
まず歴史的文脈に話の端緒をみいだしてみよう。ここで重要なことは十九世紀末に新媒体として華々しく登場した映画(モーション・ピクチュア)にとって、同時代を代表するもっともスペクタキュラーな運動媒体は列車だったということである。列車は映画が登場した十九世紀のアメリカ合衆国において運動(モーション)の代名詞であった。そして動く被写体をリアリステックにとらえることで人気を博しはじめた新媒体たる映画にしてみれば、そうした自己の特性に見あうすぐれた運動性能をほこる被写体をとらえてこそ自己の存在理由を大きく喧伝することができた。映画が、被写体のリアリステックな再現において先行するメディア(写真や絵画あるいはそれらの統合形態としてのマジック・ランタン)と差別化をはからねばならないときに、第一に主張しうることは、映画が「運動」を再現できる最初の本格的表象メディアムだという点である。それじたい偉大なる「運動」の代名詞である列車は、映画のそうした特性をもっとも効果的に立証する被写体であった。じっさいフランス人映画史家の奮闘のかいあって今日、映画興行史の起源と目されることになった一八九五年末のパリ、グラン・カフェでの投射式映画(シネマトグラフ)の一般有料公開のさい『列車の到着』(ルイ・リュミエール)が上映プログラムのひとつに組み込まれたということは象徴的な事件だといえるだろう。蒸気機関車に牽かれた客車が駅に到着し、乗客がプラットホームにおりるさまを描いたこの五〇秒ほどの凡庸なワン・ショット映画は、その後、世界各都市でさまざまなヴァリアントが撮影され、それを撮影した者がフィルムを携えて帰ってゆくパリのみならず、撮影がおこなわれた現地でも上映され人気を博することになるからだ。
 
 
 
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