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助成番号
94_1_4
研究テーマ(和文)
明治初年期の鉄道をめぐる技術と社会−工部省釜石鉄道を中心として−
研究テーマ(欧文)
Technology and Regional Community at the Beginning of Meiji Era ( Influence of Kamaishi Minning Railway )
研究代表者
氏名
カタカナ
オノデラ ヒデキ
漢 字
小野寺 英輝
ローマ字
Onodera, Hideki
研究代表者年齢
35
研究期間
1994〜1995年
報告年度
1995年度
研究体制
個人研究
研究代表者所属機関・職名
岩手大学 地域共同研究センター・助教授
※所属、氏名、年齢は助成対象決定時のものです。
 

明治期以前の東北地方は、農林水産業という第一次産業を中心とした経済圏を形作っていた。そのうちでも特に北東北と呼ばれる地域は中央の文化から大きく隔たり、さらにその中でも岩手は、戊辰戦争の後、賊軍としての汚名を着ることになった。このような文化的背景の中で、明治政府は釜石に官営製鉄所の建設を行った。明治7(1874)年に本格化したこの西欧文化の流入は、四方を高い山と海に囲まれ、いわば閉ざされた生活を送っていた釜石の人々にどのような意識を与えたのか、また、そこに建設された我が国第三の鉄道は日本の鉄道史の中でどの様な位置づけが出来るのかということについて調べ、釜石地域における産業構造変化の流れの中に、釜石鉄道の成立とその周辺において外国人技師が果たした役割と日本人に与えた影響を位置づけ、技術史、あるいは技術哲学の面から考察した。さらに、精神的そして社会的な影響をも含めた、官営釜石製鉄所の産業遺産について調査した結果について報告し、日本における西欧近代技術の移転について、釜石地域を中心に議論を行った。

 
その結果、北東北の僻地と考えられてきた釜石の地での鉄道開通に際して、住民の間には鉄道への未理解から来る忌避は確認できず、それよりはむしろ、開通に際しての大歓迎の様子が記録に残っていることが判った。そして、幕末期から蒸気船が出入りし、山には十二基もの高炉が林立し、人口の四分の一は製鉄産業で働く当時我が国唯一の大規模工業地帯であった釜石なればこそ、かなり自然に官営製鉄所と鉄道を受け入れることができたのだということを示した。さらに、官営製鉄所自体は失敗に終わったものの、製鉄技術者は官営時代を越え、民営化後その技術を確立し、それを伝習して行くことができるシステムを日本人独自で造り上げて行ったことから、釜石においては、外国人の残した技術は土地の特性と遊離したものではあったが、逆に失敗を通して日本人の技術的自立に繋がったことを述べた。
 
 
 
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