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助成番号
00_4_2_12
研究テーマ(和文)
近代日本における鉄道の旅と消費生活
研究テーマ(欧文)
The Aspect of Consumption on the Railway Travel in Modern Japan
研究代表者
氏名
カタカナ
ナカニシ サトル
漢 字
中西 聡
ローマ字
Nakanishi, Satoru
研究代表者年齢
37
研究期間
2000〜2002年
報告年度
2002年度
研究体制
個人研究
研究代表者所属機関・職名
名古屋大学大学院経済学研究科・助教授
※所属、氏名、年齢は助成対象決定時のものです。
 

本研究は、日本における鉄道文化の歴史的形成過程を解明するため、鉄道の旅客輸送や旅客の消費生活の視点から、近代日本における民衆の旅行の実態を検討したものである。

 

その場合、民衆の旅行を、伊勢参宮や富士講などの信仰の旅、内国勧業博覧会見物や松島見物などの観光の旅、商家の店員の出張などの仕事の旅の3つに大別して、それぞれ明治前期・明治中期・明治後期の事例を取り上げ、鉄道網の発達とともにそれらの旅の様相がどのように変容したかを分析した。その結果、以下のような結論を得た。

 

旅の交通手段として、近世日本の民衆の旅のほとんどは徒歩であったが、近代に入り、人力車の登場と、汽船網が整備され、明治前期の資産家の旅では、汽船や人力車がかなり利用された。ただし長距離の人力車の移動は費用が嵩み、汽船運賃も高かったため、明治前期の庶民の旅の利用交通手段は依然として徒歩中心であった。

 
鉄道網が発達すると、資産家の旅はもちろん庶民の旅でも鉄道が利用され始め、庶民の旅の支出に占める交通費の比重が高まった。ただし鉄道利用により、旅行日程の短縮が可能となり、宿泊料支出を削減でき、全体として安上がりの旅行が行えた。それにより、従来「移動の間そのものが信仰や観光であった徒歩観光」から、「目的地での参拝や観光を目的とする鉄道旅行」へ、民衆の旅の形態は大きく変化し、近世期のような一生に一度の信仰のための大旅行から、そこそこ定期的に行える観光へと旅に対する意識も変容した。
 
その意味で、旅行の様相を大きく変化させたのは、人力車の登場や汽船網の発達ではなく、鉄道網の発達であり、それゆえに近代日本の旅文化は鉄道文化と呼べるものであった。ただしこの旅文化も、旅費の制約を受けざるを得ず、資産家の旅と庶民の旅とでは、旅本来の支出部分である交通費と宿泊料以外の部分での支出額に大きな差があった。
 
 
 
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