上田市南西に広がる盆地「塩田平」
は雨が少なく、人々は古くから旱魃(かんばつ)に悩まされてきました。
永正元年(1504)には大旱魃が起こり、その際夫神岳(おがみだけ)の山頂の九頭竜権現(くずりゅうごんげん)に雨乞いを祈願したところ、たちまち大雨が降り、作物は蘇ったといいます。そのお礼として、布二反ののぼりを献上したことが、「岳の幟」のはじまりとされています。現在は7月15日に近い日曜日に実施され、別所温泉の大湯(おおゆ)・院内(いんない)・上手(わぜ)・分去(わかされ)の四地区が一年交代で当番を担当しています。
当日は夜明け前から、当番地区の人たちが夫神岳に反物を持って登り、九頭竜権現に御神酒とともに供えて、雨乞いを祈願します。そして竹竿の先に布をつけてのぼりをつくり町に下りて、来年の当番地区の人たちにのぼりを引き継ぎます。そこで、獅子舞とささら踊りが加わり行列をつくり、集落の数ヵ所で舞を披露しながら、最後に別所神社へと向かいます。
本来、獅子舞とささら踊りは祇園祭の芸能でしたが、昭和9年から祇園祭と岳の幟はひとつとなり、演じられるようになりました。岳の幟は、疫病除けの祇園祭と融合した地域色の濃い、貴重な行事とされています。
三頭(みかしら)獅子舞とささら踊り
岳の幟で演じられる獅子舞は、雄獅子二頭と雌獅子一頭による三頭獅子です。まず「道行き」で雄、雌、雄の順に両手のばちをあげ、足を前にすりあげてばちを太鼓に当て輪をつくります。そして「振込み」「舞込み」と続き、最も中心となる「かじり」では、雄獅子二頭が雌獅子一頭をめぐって争う所作が見どころです。ささら踊りは、小学校高学年の少女たちが、太鼓と笛の囃子とささら踊りの唄にあわせて踊る、とても愛らしい芸能です。
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