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第7回企画展示 蒸気機関車 −動輪が刻んだ時代(とき)−
2005年4月5日〜7月18日
 
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1804年にトレビシックが開発した蒸気機関車の誕生から、産業革命とともに技術の改良と革新を繰り返し、発達した蒸気機関車。日本で活躍した蒸気機関車たちの歴史を、写真や模型、遺物等を展示し、明治初期から戦後まで紹介します。
 
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「 交通博物館 所蔵 」
 
1804年にイギリスの炭鉱技師リチャード・トレビシックが、世界初の蒸気機関車をウェールズで走らせてから
既に200年が経過しました。
日本では、イギリスに半世紀以上遅れた1871(明治4)年に新橋−横浜間と大阪−神戸間の鉄道に使う車両を、開通に先立ち輸入したのが最初でした。新橋停車場が日本の蒸気機関車の第一歩を踏み出した場所だったのです。
明治時代には多くの蒸気機関車が輸入されました。鉄道は殖産興業政策、産業振興の一翼を担っていました。それは同時に、日本における鉄道の大躍進の時代でもありました。大正時代に入ると本格的な蒸気機関車の国産化が行われ、技術発達史に残る機関車が登場しました。この時期に近代蒸気機関車の技術基礎がほぼ確立したのでした。
昭和時代は、戦争に向かう不幸な時代でありましたが、蒸気機関車の製造技術進歩は、全盛期を迎え、日本を代表する機関車が多く誕生しました。D51形はその筆頭で、日本で一番多く製造され、戦後も長く活躍しました。1948(昭和23)年に製造されたE10形が、最後の新製蒸気機関車となりました。
 
 
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「 交通博物館 所蔵 」
 
日本の鉄道はイギリス人技術者の指導の下、1872(明治5)年に新橋−横浜間、1874(明治7)年に開業しました。京浜間、京阪神間で使用する機関車もまた、イギリスから1871(明治4)年に輸入しました。当時の日本の工業水準では機関車を国産化することは難しかったのです。
1880(明治13)年には北海道開拓使が幌内鉄道開業に備え、アメリカ製蒸気機関車2両を購入し、「義経」・「弁慶」と名付けられました。
1881(明治14)年には、華族たちの出資による日本で最初の私鉄「日本鉄道会社」が設立されました。その第1号となった蒸気機関車は、官鉄から譲り受けたイギリス製の「善光」でした。
 
 
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【主な展示内容】
 
「日本の鉄道の草創期【1872(明治5)年頃−1887(明治20)年頃】」
 
日本の鉄道はイギリス人技術者の指導の下、1872(明治5)年に新橋−横浜間、1874(明治7)年に開業しました。京浜間、京阪神間で使用する機関車もまた、イギリスから1871(明治4)年に輸入しました。当時の日本の工業水準では機関車を国産化することは難しかったのです。
1880(明治13)年には北海道開拓使が幌内鉄道開業に備え、アメリカ製蒸気機関車2両を購入し、「義経」・「弁慶」と名付けられました。 1881(明治14)年には、華族たちの出資による日本で最初の私鉄「日本鉄道会社」が設立されました。その第1号となった蒸気機関車は、官鉄から譲り受けたイギリス製の「善光」でした。
 
7100形式 手宮機関区の「弁慶」 交通博物館 所蔵
 
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「様々な形式の発展した時期【1887(明治20)年頃−1907(明治40)年頃】」
 
産業の近代化が急速に進み、日清戦争経済の発展に不可欠な鉄道は輸送力の増強、幹線延伸が求められるようになりました。 1889(明治22)年には新橋−神戸間、1891(明治24)年に上野−青森間、1893(明治26)年に高崎−直江津間がそれぞれ全通しました。
蒸気機関車においても高速化、長距離運転が必要となり、これまでの量と質では、もはや時代の要請に合わなくなりました。そこで、旅客用には高速運転に適した軸配置2B形、貨物用には牽引力重視のC1形などが主流となり活躍しました。
また、鉄道企業への投資も日清戦争後の好景気で盛んになり、日本各地で私設鉄道が発展しました。全国各地で多くの私鉄が開業すると共に、機関車の種類も増加し、各社はそれぞれ独自の形式称号をつけて運用する時代となりました。
 
9700形式(日本からの注文よりミカド型となる) 交通博物館 所蔵
 
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「国産蒸気機関車の確立期【1907(明治40)年頃−1930(昭和5)年頃】」
 
1906(明治39)年「鉄道国有法」が成立し、主要私鉄17社が買収されました。買収により私鉄から編入された機関車は、各社独自の形式分類をしていたため、運転の上で能率的な運用ができなくなっていました。この不便を解消するため、すべての機関車の形式分類を行い、1909(明治42)年「機関車番号及形式称号」が改定されました。
この頃になると、日本の工業技術の向上が追い風となり、蒸気機関車の新製は民間工場、修繕は官鉄工場で行うこととなりました。また、輸入から国産への方向に次第に移行していきました。過熱式・大型動輪の採用、自動連結器への交換など技術分野においても、蒸気機関車の発展に欠かせない多くの進化があり、高速化、牽引力向上に大いに貢献しました。近代蒸気機関車の技術基礎が、ほぼ確立した時期でもありました。
 
C51形式(東京駅のC51 239号機) 交通博物館 所蔵
 
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「蒸気機関車全盛期【1930(昭和5)年頃〜戦後まで】」
 
蒸気機関車の技術的進歩が全盛期を迎えていた昭和初期に日本を代表する名蒸気機関車が製造されました。大恐慌による不景気の影響から小単位の列車増発と、大幅に増えたローカル線対応のために、小型のタンク機関車C11形、C12形が出現してきました。
また、大正期に作られた機関車の部分的改良が行われたC57形、 D51形が生まれた。戦時中はさらに強力なC59形、D52形が製造されました。
戦後、鉄道輸送は旅客輸送が主体となり、不足していた旅客用機関車を補うため、貨物用機関車のボイラーを使用したC61形、C62形が製造されました。 1948(昭和23)年に製造されたE10 形が国鉄最後の新製蒸気機関車でした。
 
C57形式(旧大井工場の機関車定置試験台でテスト中のC57 1号機) 交通博物館 所蔵
 
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