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第6回企画展示 江戸 汐留らいふ
2004年12月7日〜2005年3月21日
 
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図版:仙台藩芝上屋敷絵図 18世紀(仙台市博物館所蔵)
 
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【主な展示内容】
 
「大名屋敷」
 
江戸時代、汐留にあった大名の江戸屋敷は龍野藩脇坂家、仙台藩伊達家、会津藩保科家があげられる。江戸屋敷は大名の私有地というよりも、幕府から拝領されたものであるという考えの下に成り立っていた。
そのため、大名の屋敷の移転は幕府を通して行われた。江戸屋敷の移転は珍しいことではなかったが、汐留にあった脇坂家、伊達家、保科家は明治維新を迎えるまで汐留の地に江戸屋敷を構えていた。
しかし、火災や地震などの被害を被ることもあり、建て替えや改築などは数度となく行われていた。
保科家の敷地の南側にも江戸時代の早い段階から森家や関家などの大名屋敷があった。森家、関家もまた上地(あげち)などで移転縮小されるが、幕末まで汐留地区に江戸屋敷を構えていた。
 
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「汐留三角屋敷と芝口新町」
 
脇坂家の屋敷と外掘や汐留川の間に位置する地域には町屋があった。江戸時代の地図では17世紀に明地(あきち)になった後に、町屋ができている。18世紀初頭には三角屋敷の名称が御符内沿革図書の絵図に記されるようになり、その後、三角屋敷の西側に芝口新町という町屋ができた。
汐留川沿いには商人が利用したと思われる蔵地があり、物資の積卸場としての機能を備えていた。『東京汐留ヨリ新橋之図』は汐留橋の袂(たもと)あたりから、新橋を臨んでいる。堀沿いに蔵が建っていることがうかがえる。
 
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「芝新銭座」
 
新銭座とは保科家の南に位置した町屋の町名のことである。名前からも分かるように銭貨を製造する銭座があり、1636(寛永13)年に設置されたが、開設していたのは数年だったようである。その後に新銭座町という町屋となった。
新銭座町のさらに南には森家と関家の江戸屋敷があった。幕末に、森家の屋敷の一部が上地となり、その場所に関家の屋敷が移転した。また、関家の屋敷があった場所には江川太郎左衛門という伊豆韮山(にらやま)の代官の屋敷と大砲や銃器などを扱う、現在の陸軍に当たる組織の練習場を造った。
 
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