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第4回企画展示 「日本をみた!?幕末・明治に来日した外国人」
2004年4月13日〜7月25日
 
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日本が約200年に及ぶ鎖国から解かれ開国した時期は、近代ツーリズムが開花した時期と重なり、またジャポニスム(日本趣味)がヨーロッパで流行した時でもありました。その時期にあたる、幕末から明治時代に日本国内を旅行した外国人が見た日本はどのような世界だったのか。当時来日した外国人の目から見た日本の風景や習俗、また急速に近代化していく日本の様子を、現在に遺された旅行記や写真等で紹介します。
 
人力車『風景風俗彩色写真帳』所収
(横浜開港資料館所蔵)
東海道の一風景:フェリーチェ・ベアト
(日本カメラ博物館所蔵)
 
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【主な展示内容】
 
「近代ツーリズムと世界交通網の発展」
 
観光旅行や添乗員付き団体旅行は、有史以来行なわれてきたことである。近代ツーリズムの発祥の地でもあるイギリスにおいては、16世紀後期から始まったグランド・ツアーと呼ばれる貴族の観光旅行の形態があった。18世紀の終わりには大陸へ旅行する動きが活発になり、1811年頃にはそのような人々の行動を「ツーリズム」と言うようになった。
近代ツーリズムの創始者であると言われるトマス・クックが初めて団体の周遊旅行を企画し実行したのが1841年。ちょうど1841年という年は、近代ツーリズムを感じさせる出来事がいくつも重なって起こっていた。イギリス鉄道の全国版鉄道時刻表が定期刊行物として出版され、鉄道駅の一部をなすヨーロッパ初のホテルがヨーク(イギリス)にでき、キュナード汽船が大西洋横断航路を開設し、アメリカン・エキスプレス社が発足した年であった。
近代の移動手段として発達した鉄道は、1825年イギリスのストックトン・ダーリントン・ウィットンパーク炭鉱間に初めて開設された。旅客輸送においては、蒸気機関車ではなく馬力を用いていた。蒸気機関車を旅客鉄道に導入したのは、1830年に開通したイギリスのマンチェスター・リバプール鉄道であった。19世紀中期には世界的な交通網が整備され発展してゆく。
1869年5月にはアメリカ大陸横断鉄道が、11月にはスエズ運河が開通し、さらに旅行熱を煽るようになる。
1872年にトマス・クックは、初めての世界一周の団体旅行を実施した。この世界一周旅行で日本を訪れている。日本では明治になって5年が経過しており、幕末のような危険性はすでに無く、新橋横浜間の日本最初の鉄道も開通していた。トマス・クックは風光明媚な瀬戸内海の風景を「イングランド・スコットランド・アイルランド・スイス・イタリアの湖の最も良いところだけを取って一つにしたほど美しい」と絶賛している。また、近代国家へ歩みを始めた日本がイギリスを手本としていることに、どこに行っても日本人から友好的なもてなしを受けたことに喜んでいた。
また、同年ジュール・ベルヌの『八十日間世界一周』がフランスで出版された。この小説の爆発的な人気も手伝って、人々を世界旅行に駆り立てたのである。
 
イラストレイテッド・ロンドン・ニュース 1869年12月18日号
開通したスエズ運河を航行する船列(横浜開港資料館所蔵)
 
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「幕末・明治初期の開国期のニッポンをみた外国人」
 
1854(寛永7)年にアメリカと日米和親条約が結ばれ、さらに1858(安政5)年に日米修好通商条約を結び、日本は約200年に渡る鎖国を解いた。 横浜が1859(安政6)年に開港すると、多種多様の外国人がそれぞれの思いを抱いて集まってきた。彼らはそれぞれの立場で幕末の動乱期から明治維新に至る過程に起こったさまざまな事件事故を客観的に観察し、本国に報告していた。その中では外交問題だけでなく、日本の文化、習俗も伝えていた。単なる、滞在記、旅行記としてではなく、写真やスケッチを多く残し、貴重な資料として現代の私たちに当時の日本の様子を鮮明に伝えてくれている。来航者の多くが、美術品や紀行文などから日本に対して「お伽の国」のようなイメージを抱いていた。実際に日本を見た外国人は日本的な文化を理解し、好感を持って受け入れる人もいれば、非文明的だと拒絶する人もいた。どちらの意見にしても、それが外国人の目に見えた当時のニッポンだったのである。
 
小田原:フェリーチェ・ベアト(個人蔵)
 
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「近代化する明治中期・後期のニッポンを見た外国人」
 
当時の日本は、産業革命の申し子である蒸気機関をはじめとする近代の技術の習得や、欧米の文化を取り入れることに必死になっていた。領事裁判権や協定関税が盛り込まれた不平等な条約の改正のためには、すべてにおいて欧米化することが必要であると考え、鹿鳴館に代表される欧化政策に力を入れた。
しかし、見かけを徹底的に欧化することから始めた日本の姿は、外国人の目には喜劇的にしか写らなかったのである。欧米で流行していたジャポニスム(日本趣味)に傾倒し、日本的なものを求め、憧憬の念を抱き来日した外国人は、なぜ欧米の真似をしなければならないのかと、その姿や生活環境の急激な変化に疑問を投げかけていた。ビゴーのように痛烈に日本の姿を皮肉り、批評したものもいた。また居留地などの近代化、西欧化された場所には興味を示さなかった外国人旅行者もいた反面、近代的なホテルに宿泊し、居留地という西欧社会の中にどっぷりつかりながら、日本という異国を覗き見ることできる環境に満足する人々もいた。この頃には、写真技術の革新が起こり、難しい技術や沢山の機材を撮影現場に持って行く必要もなくなり、更に鮮明な日本の姿が記録された。わずか100年ほどしかたっていないにも関わらず、そこに写る日本の姿は現代の私たちに新鮮な印象を与えてくれる。
 
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「外国人向けガイドブック」
 
未知の土地に赴く旅行者たちが、ガイドブックを携えて行くことは古今東西変わらない。日本を訪れる旅行者たちも同じであった。イギリスのマレー社が発行するガイドブックは当時、最も有名で信頼されていた。マレー社が日本用ハンドブックを発売したのは1881(明治14)年である。
このハンドブックは、アーネスト・サトウとA.G.S.ホーズが製作したものであった。ガイドブックは出版社だけでなく、カナダ太平洋鉄道会社や日本郵船会社などでも自社の宣伝も兼ねて発行していた。日光金谷ホテルや日光ホテルなど外国人専用のホテルでも、宿泊客のために周辺地域のガイドブックを作成していた。
 
西廻りで行くファーイースト (横浜開港資料館所蔵)
 
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