今年は、1890(明治23)年に、日本で初めて帝国議会が開かれて120年にあたります。
その頃の日本では、官設鉄道の東海道線(新橋−神戸)が1889(明治22)年、私設鉄道の日本鉄道が1891(明治24)年に上野−青森間と相次いで全通し、本州では青森から神戸まで鉄道がつながった時期です。
参勤交代制度があり、国が伊予・薩摩・陸奥の国などと称され細分化されていた江戸期に比べ、1日で東京に参集できる地域が飛躍的に広がったことは、沿線の政治家たちにとって画期的かつ隔世の感があったことでしょう。
鉄道政策では、当時鉄道庁長官だった井上勝による建議書「鉄道政略ニ関スル議」が提起され、国の重要な問題となっていく時期にもなりました。
今回の展覧会では、正岡子規が1893(明治26)年夏に1ヵ月かけてめぐった奥羽旅行の紀行文『はて知らずの記』の記録をたどりながら、当時の交通手段や社会情勢を眺めて頂ければと思います。
子規は、若くして病魔に侵されましたが、驚異的なエネルギーを持ち、俳句や短歌の世界で革新的な仕事をし、後世に大きな影響を与えました。
友人や支援者、家族に見守られて過ごした明治前期、その時代に流れる空気も、併せてご紹介できればと願っております。 |