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>第2回企画展示 「汐留の移り変わり」
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第2回企画展示 「汐留の移り変わり」
2003年7月29日〜11月16日
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江戸幕府が成立すると、城下町の造成が本格化し、江戸湾の埋立てが進みました。海岸沿いの葦原であった汐留は、17世紀前半に脇坂家、伊達家、保科家に与えられ、大名屋敷が建てられました。明治時代に入って、三家の敷地は新政府に接収され鉄道用地になります。この地に日本最初の鉄道ターミナル、新橋停車場が建設され、西から東京に上がってくる人々の表玄関になったのです。江戸から明治、大正、昭和と変化する汐留の姿を伝えます。
明治末の新橋停車場(交通博物館所蔵)
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【主な展示内容】
「土地の移り変わり」
約2万年前の氷河期には今よりも100mくらい海面が低下し、東京湾全体が陸地化していました。約6000年前には今より3-4mも海面が上昇していて、汐留は水面下に位置していました。
1590(天正18)年に徳川家康が入府した頃の汐留は、海岸沿いの浅瀬でした。江戸幕府が成立すると、城下町の造成が本格化し、江戸湾沿岸部の埋立てが進みました。17世紀前半、脇坂家、保科家、伊達家が汐留の屋敷を拝領しました。これら三家の汐留の屋敷は明治に入るまで続きました。
明暦江戸絵図 新添江戸之図(港区立港郷土資料館所蔵)
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「風景の移り変わり」 大名屋敷の様子
大名屋敷の敷地内には大きな池や築山のある庭園が造られ、海から舟を引き入れることのできる舟入場がありました。発掘調査でも庭園や舟入場の遺構が見つかっています。大名屋敷の表門は藩の格によってその形式が決められていました。伊達家の汐留屋敷表門を再建するのに作られたと思われる雛形が保存されており、大名屋敷の表門の様子を伺うことが出来ます。火事の多かった江戸では、門が焼失し再建するまで設置された仮の門の形まで決まっていました。
江戸勝影 芝新銭坐之図 (天保6年-8年ごろ 歌川廣重) (港区立港郷土資料館所蔵)
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「風景の移り変わり」 江戸の風景
江戸は江戸湾に注ぎ込む川と、城を守るために巡らされた堀が街中を縦横に走る水の都でした。フェリックス・ベアトが愛宕山から撮影した写真は、江戸の景観を今に伝える貴重な資料です。愛宕山は江戸の人々が好んだ景観の良い場所でした。
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「風景の移り変わり」 明治以降の風景
明治時代、築地居留地に近く、また東海道線の始発駅である新橋停車場のあった汐留界隈は東京の表玄関でした。1872(明治5)年の火災で焼失した銀座一帯は煉瓦街に生まれ変わり、現在の築地中央卸市場のある場所は海軍の拠点となっていました。また汐留川沿いには、蓬莱社(後に第十五銀行となる建物)や逓信省などの西洋風建物が建ち並んでいました。それらは錦絵や絵葉書、写真によって写し取られる題材となったのでした。
新橋(石黒敬章所蔵)
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「物資輸送の移り変わり」
江戸時代の貨物輸送は水運が中心でした。1873(明治6)年に鉄道貨物が始まり、鉄道網の発展と共に貨物輸送の主力となりました。1914(大正3)年、新橋停車場は汐留駅と改称して貨物専用のターミナルとなり、1930年代の大改良でその機能が大幅に強化されました。戦中、そして戦後復興期の貨物輸送の主役も鉄道がつとめました。
1960年代末期から70年代は、汐留駅が最も繁栄した時期でしたが、この頃までに道路網が整備され、自動車による貨物輸送が急速に増加すると、鉄道貨物は次第に苦戦を強いられるようになり、1986(昭和61)年、汐留駅はその使命を終えて114年の歴史に幕を閉じました。
汐留駅俯瞰写真 昭和40年代後半 (物流博物館所蔵)
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「市内交通の移り変わり―馬車鉄道から路面電車へ―」
東京馬車鉄道は1882(明治15)年に営業を開始しました。新橋、日本橋、上野、浅草を結ぶP字型の路線で、1883(明治16)年に開業した上野停車場と新橋停車場を結ぶ役割も担っていました。1903(明治36)年には路面電車が開業しました。はじめは東京電車鉄道(東京馬車鉄道の後身)、東京市街鉄道、東京電気鉄道が並立していましたが、その後合併し東京鉄道となり、1911(明治44)年には市営となりました。大正期には満員電車が名物になるほど、東京の路面電車は市民の生活に密着していました。
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