アンドレ・ボーシャン(1873-1958)と藤田龍児(1928-2002)は、ヨーロッパと日本、20世紀前半と後半、というように活躍した地域も時代も異なりますが、共に牧歌的で楽園のような風景を、自然への愛情を込めて描き出しました。人と自然が調和して暮らす世界への憧憬に満ちた彼らの作品は、色や形を愛で、描かれた世界に浸るという、絵を見ることの喜びを思い起こさせてくれます。両者の代表作を含む計114点を展示します。
*会期中一部展示替えがあります(前期4/16~5/29、後期5/31~7/10)
アンドレ・ボーシャンは1873年、フランス中部のシャトー=ルノーで生まれました。アンリ・ルソー以来の最も優れた素朴派の画家ともいわれています。もともと苗木職人として園芸業を営んでいました。事業は順調でしたが、41歳の時に第一次世界大戦が勃発し徴兵されます。そして46歳で除隊した時には、農園は破産し、妻はその心労から精神に異常をきたしていました。ボーシャンは病んだ妻の世話をしながら、半ば自給自足の生活を送りますが、そのかたわら戦時中に習得した測地術をきっかけに興味をもった絵画を描き始めるのです。
ボーシャンが描いたのは、山や川、草原や丘、そこに生い茂る木々や咲き誇る花々など、なじみのある故郷の風景、苗木職人として身近に接していた植物の生き生きとした姿でした。そうした絵の中に、しばしば神話や歴史の登場人物が描き込まれましたが、これも小さい頃からボーシャンが親しんでいた世界でした。
深い愛情を感じさせる豊かな自然描写と、素朴でぎこちない人物表現の取り合わせには、そこはかとない味わいがあり、じわじわと効いてくることでしょう。
藤田龍児は1928年、京都で生まれました。20代の頃から画家として活動をしていましたが、48歳の時に脳血栓を発症し、翌年の再発で右半身不随となってしまいます。利き腕が動かなくなり一旦は諦めた画家の道でしたが、懸命なリハビリによって左手に絵筆を持ち替え、画家として再スタートを切ります。再起後に最初の個展を開いた時、藤田は53歳になっていました。
初期の藤田は抽象性の強い幻想的な作品を描いていましたが、大病後にはうって変わって親しみやすいのどかな風景を描くようになります。広い野原や連なる山並みの見える郊外、古い町並みやのんびりした田舎町などが舞台となり、そこに電信柱や工場の煙突、鉄道、バス停などが描き込まれ、人物は点景として、しばしば白い犬と共に興趣を添えています。
記憶にある光景をもとにつくり出された藤田の心象風景ともいえる作品群は、私たちの遠い記憶を呼び覚ますようで、しみじみと心に沁みてきます。
アンドレ・ボーシャンは20世紀前半のフランスで、藤田龍児は20世紀後半の日本で活躍した画家です。時代も国も異なる二人ですが、彼らの作品は、共に牧歌的な雰囲気に満ち、楽園を思わせる明るい陽光と豊かな自然にあふれています。そこでは時間がゆったりと流れ、満ち足りた幸せな気分を感じさせます。
しかし、彼らは恵まれた幸福な環境でこれらの作品を描いていたのではありません。破産した農園と病気の妻、あるいは大病による半身不随という苦境の中で理想郷を夢想し、つらい過酷な状況の中から、心を癒してくれるような牧歌的な作品群を生み出していたのです。それは、困難な時代を生きる私たちにとって、一つの希望のようにも思えます。