宮脇綾子(1905-1995)は身近なモノを対象に、布と紙で美しく親しみやすい作品を生み出しました。アプリケ、コラージュ、手芸などに分類されてきた彼女の作品は、しかしいずれの枠にも収まりきらない豊かな世界をつくり上げています。モティーフにしたのは野菜や魚など、主婦として毎日目にしていたもの。それらを徹底的に観察し、時に割って断面をさらし、分解して構造を確かめる。たゆまぬ研究の果てに生み出された作品は、造形的に優れているだけでなく、高いデザイン性と繊細な色彩感覚に支えられ、いのちの輝きを見事に表現しています。
本展では、宮脇綾子をひとりの優れた造形作家として捉え、約150点の作品と資料を造形的な特徴に基づいて8章に分類・構成していきます。美術史のことばを使って分析することで、宮脇綾子の芸術に新たな光を当てようとする試みです。
自分の力によって創り出したものは、まことに尊いものだと言えます
―――――宮脇綾子『私の創作アップリケ 藍に魅せられて』より
《ざるにのせた柿》制作年不詳、個人蔵
《ざるにのせた柿》
《芽の出たさつまいも》1987年、豊田市美術館
《芽の出たさつまいも》
宮脇綾子は見ることを大切にしていました。その制作は、まずモノを徹底的に観察するところから始まります。形や色だけでなく、個々のパーツや構造まで、しつこく観察が続けられるのです。時には植物の葉や花のガクなどを取り外して、その付き方を研究することもありました。エビやカニをもらっても、料理の前にこの観察が始まるので、家族はお預けをくらうことがあったといいます。布を縫い付けるという、描くよりもずっと不自由な方法をとりながら、宮脇の作品が優れた写実性を有しているのは、この観察眼のためなのです。
《日野菜》1970年、豊田市美術館
《日野菜》
《ねぎ》1964年、個人蔵
《ねぎ》
果実や野菜などの断面は宮脇のお気に入りでした。カボチャ、トウガン、スイカ、タマネギ、ピーマンなど、ふたつに割られた食材は数知れません。料理をしようと半分にした時に、その断面を美しいと感じることがよくあったようです。また彼女は、魚や鳥などの表と裏を対として、あるいはさまざまな角度から見た姿を並べて表現することもありました。その根底には探究心があったのでしょう。こうした作品からは、表現する対象のすべてを知り尽くしたいという気持ちが感じられますが、それはアーティストの本能といえるかもしれません。
《さしみを取ったあとのかれい》1970年、豊田市美術館
《さしみを取ったあとのかれい》
《切った玉ねぎ》1965年、豊田市美術館
《切った玉ねぎ》
自然の中に存在する植物や動物の個体には、ひとつとして同じものはありません。観察の人であり、探究心の塊だった宮脇はそのことをよく知っており、それを人一倍面白いと思っていました。彼女の作品には、生物の多様性が息づいているのです。ワラビやゼンマイの茎葉の巻き具合、イカの干物や干し柿などの色やかたちの微妙な変化を、宮脇の眼は見逃しません。こうした多様性の表現は、鋭い観察眼と飽くなき探究心によるものであったことは確かですが、同時に主婦として日々食材を扱う生活から生み出されたものでもありました。
《ひなげし》1969年、豊田市美術館
《ひなげし》
《ひの菜》1978年、豊田市美術館
《ひの菜》
宮脇は素材にこだわり、好みの古裂を探して骨董屋や骨董市めぐりをしていました。業者から使い古された布を引き取り、またさまざまな布を持ってきてくれる知人も多くいたようです。子どものころ貧乏だったことや、姑がモノを大切にする人だったことの影響で、どんなハギレも捨てられないと宮脇は書いています。彼女の関心は、貴重な古裂だけでなく、レースやプリント生地をはじめ、洗いざらしのタオル、古くなった柔道着、使用後の布製のコーヒーフィルター、さらに石油ストーブの芯まで、あらゆる素材に向けられていたのです。
《ねぎ坊主 おべんとうの折で》1970年、個人蔵
《ねぎ坊主 おべんとうの折で》
《鰈の干もの》1986年、個人蔵
《鰈の干もの》
宮脇が作品に用いた布にはさまざまな柄のものがありました。伝統的な吉祥紋から、藍染の縞柄や格子柄、紅型の大胆でカラフルな文様などだけでなく、プリントされた花柄や松竹梅の文様まで、あらゆる柄や模様が宮脇の作品には使われています。こうした模様を巧みに組み合わせて、写実的な作品を作り上げることも珍しくありませんでした。龍の文様がオコゼの刺々しい様子を見事に表現していたり、印半纏の幾何学的な柄が竹の子の皮に見立てられていたりするのを見ると、宮脇マジックと呼びたくなります。
《白菜》1975年、豊田市美術館
《白菜》
布の模様を写実的な表現に巧みに利用する一方で、宮脇は模様それ自体の面白さをそのまま生かして、大胆な造形をつくり出すこともありました。模様を見ながら、何をつくろうかと考えることもあると言っていた宮脇にとって、模様は制作するための要素のひとつであっただけでなく、インスピレーションの源でもあったのです。宮脇の作品の中には、写実を離れて、自由に模様で遊んだ作品が少なくありません。モティーフの本来の柄とはかけ離れた模様が予想外の面白さをつくり出し、独自の作品世界をつくり上げているのです。
《鮭の切り身とくわい》1980年、個人蔵
《鮭の切り身とくわい》
《いい形・いい布》1986年、豊田市美術館
《いい形・いい布》
宮脇の作品は、布を縫い合わせることによってつくり出されています。つまり対象を面の集まりとして全体を構成していくのですが、そこに紐や糸による線を加えることによって、彼女の作品は大きな表現の幅をもつことになりました。植物の根や細い茎などの繊細な描写が可能になっただけでなく、透明なガラスの器を表現することができるようになったのです。それは根や芽の生命力に強い関心をもっていた宮脇には重要なことでした。新芽や伸びる根の様子を観察するのに、水を張ったガラスの器ほどふさわしいものはないからです。
《ガラス瓶の中のつる草》1986年、個人蔵
《ガラス瓶の中のつる草》
宮脇は、デザイン的な傾向を強く感じさせる作品を数多く制作しています。こうした作品ではしばしば、大胆な単純化やデフォルメ(誇張)がおこなわれ、また同じモティーフを反復したり、逆に異なるモティーフを羅列したりするなど、写実的な表現とは違う手法が用いられます。デザインとは、奇をてらったり装飾的な細部を付け加えたりすることなのではなく、自然を観察して、そこから本質的な形を汲みだし、それをある秩序にしたがって配置していくことであるとするならば、宮脇綾子の作品は優れてデザイン的であるといえるでしょう。
《あんこう》制作年不詳、個人蔵
《あんこう》
《床山さんの櫛》制作年不詳、個人蔵
《床山さんの櫛》
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