歴史と未来をつなぐ東京駅の美術館 | 東京ステーションギャラリー

没後40年 幻の画家 不染鉄展
暮らしを愛し、世界(コスモス)を描いた。

会期:2017年7月1日(土)−8月27日(日)

《山海図絵(伊豆の追憶)》大正14(1925)年 木下美術館蔵

《山海図絵(伊豆の追憶)》大正14(1925)年 木下美術館蔵

《南海之図》昭和30(1955)年頃 愛知県美術館蔵

《南海之図》昭和30(1955)年頃 愛知県美術館蔵

《落葉浄土》昭和49(1974)年 奈良県立美術館蔵

《落葉浄土》昭和49(1974)年 奈良県立美術館蔵

《廃船》昭和44(1969)年頃 京都国立近代美術館蔵

《廃船》昭和44(1969)年頃 京都国立近代美術館蔵

《林間》大正8(1919)年頃 奈良県立美術館蔵

《林間》大正8(1919)年頃 奈良県立美術館蔵

《薬師寺東塔の図》昭和45(1970)年頃 個人蔵

《薬師寺東塔の図》昭和45(1970)年頃 個人蔵

《古い自転車》昭和43(1968)年 個人蔵

《古い自転車》昭和43(1968)年 個人蔵

【休館日】
月曜日(7月17日は開館)、7月18日
【開館時間】
10:00 − 18:00
※金曜日は20:00まで開館
※入館は閉館30分前まで
【入館料】
一般900(800)円 高校・大学生700(600)円 中学生以下無料
※( )内は20名以上の団体料金
※障がい者手帳等持参の方は100円引き(介添者1名は無料)
※前売券は200円引き。
ローソンチケット(Lコード=38777)、イープラスCNプレイガイドセブンチケットにて、4/29−6/30販売。当館受付での販売は、4/29−6/18の開館日に限る。
【主催】
東京ステーションギャラリー(公益財団法人東日本鉄道文化財団)
産経新聞
【協力】
ヤマトロジスティクス

不染(ふせん)鉄(てつ)を、ご存じですか。

不染鉄(本名哲治、のち哲爾。鐵二とも号する)は、稀有な経歴の日本画家です。日本画を学んでいたのが、写生旅行先の伊豆大島・式根島で、なぜか漁師暮らしを始めたかと思うと、今度は京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学。才能を高く評価されながら、戦後は画壇を離れ、晩年まで飄々と作画を続けました。これまで美術館で開かれた回顧展は、21年前の唯一回だけ。画業の多くは、謎に包まれてきました。

その作品も、一風変わっています。富士山や海といった日本画としては、ありふれた画題を描きながら、不染ならではの画力と何ものにもとらわれない精神によって表現された作品は、他のどの画家の絵とも異なり、鳥瞰図と細密画の要素をあわせ持った独創的な世界を作り上げています。不染は「芸術はすべて心である。芸術修行とは心をみがく事である」とし、潔白な心の持ち主にこそ、美しい絵が描けると信じて、ひたすら己の求める絵に向きあい続けました。

東京初公開となる本展では、代表作や新たに発見された作品を中心に、絵はがき、焼物など約120点を展示し、日本画家としての足跡を、改めて検証するとともに、知られざる不染鉄作品の魅力を探ります。

展覧会構成

第1章 郷愁の家

明治24(1891)年、東京小石川の光円寺に生を受けた不染鉄は、20代初め、日本美術院研究会員となり、写生旅行に行った伊豆大島・式根島で3年もの間、漁師として生活を送ります。その後、京都市立絵画専門学校に入学し、在学中には特待生となり、第一回帝展に入選、首席で卒業した後も、度々帝展に入選を重ねました。横山大観らによって試みられた朦朧体を思わせる作品や、四季折々の山や海、人里にひっそりと佇む家を主題としたこの時期の作品からは、不染が若くして優れた日本画の技法を習得し、瑞々しい感性も兼ね備えていたことがうかがえます。

第2章 憧憬の山水

大正時代の画壇では、南画に近代的な解釈を加えた「新南画」と呼ばれる絵画が生まれる一方、大正10(1921)年には、全国の南画家によって、「日本南画院」が結成され、南画に対する再評価の機運が高まった時期でした。昭和15(1940)年、大東南宗院が設立されるにあたり、不染も《秋》を招待出品しています。奈良、大磯、横浜、東京と転居し、各地を旅した不染は、理想と現実の風景を織り込んだ山水画に、自由闊達に筆を揮いました。小さな文字で書き散らされた画賛には、温かみのある心情が詠み込まれています。

第3章 聖なる塔・富士

昭和21(1946)年、不染はかつて図画の教員を務めていた奈良県正強中学校の理事長に請われ、のちに、正強高等学校(現・奈良大学付属高等学校)校長に就任、1976(昭和51)年に他界するまで、奈良に住み続けました。奈良の地に親しみ、アーネスト・フェノロサが、「凍れる音楽」と評したといわれる薬師寺東塔に着想を得て、日本画に焼物にと、しばしば作品にしています。それに加え、古より霊峰と崇められた富士山を好み、大正末期から長きに渡り、繰り返し描きました。とくに、俯瞰と接近の相まった独特な視点でとらえ、太平洋に群れ泳ぐ魚から雄大な富士山を越えて、雪降る日本海の漁村まで、はるかに広がる本州を表した《山海図絵》は、代表作の一つです。

第4章 孤高の海

昭和27(1952)年、不染は正強学園理事長を退任し、画業に専念します。そんなとき思い出されるのは、20代半ばに過ごした伊豆大島・式根島での日々でした。3年という短い歳月ながら、この地での経験は、ひときわ強く心の奥底に刻み込まれ、不染は堰を切ったように海を描くようになります。神秘的な深い海に浮かぶ、蓬莱山を思わせる切り立った孤島に、幾重にも波頭が打ち寄せ、波間に一艘の舟がたゆたう様は、島での記憶を独自の心象風景に昇華させた、不染鉄芸術の頂点であり、秀逸な筆致で表現された世界は、見る人を閑寂な画中へいざなうようです。

第5章 回想の風景

老境に入り、一人悠々自適に暮らす不染のもとに、その人柄にひかれた奈良女子大学の女子学生らが集い、年の差を越えた交流が始まります。とくに好意を寄せた女性には、自らの生い立ちや日々の暮らしの光景を描いた絵はがきを幾度となく送り、幼いころの思い出や母への思慕の情、日常生活の中の感動について、ときにはユーモアを交えながら書き添えています。こうした創作意欲を掻き立てる存在ができたことで、晩年には次々と情感豊かな作品が生まれ、「いヽ人になりたい」と願った不染の無垢な思いが伝わってきます。