パロディ、二重の声 ――日本の一九七〇年代前後左右

会期:2017年2月18日(土)―4月16日(日)

【休館日】
3月20日をのぞく月曜日、3月21日
【開館時間】
10:00 - 18:00
※金曜日は20:00まで開館
※入館は閉館30分前まで
【入館料】
一般900(800)円 高校・大学生700(600)円 中学生以下無料
※( )内は20名以上の団体料金
※障がい者手帳等持参の方は100円引き(介添者1名は無料)
【主催】
東京ステーションギャラリー(公益財団法人東日本鉄道文化財団)
【特別協力】
Special Cooperation with Cappellini Point Tokyo_Team Iwakiri Products

チラシPDFはこちら

右も左もパロディづくし!
機知と批評の技を呼び戻す。

1960年代中頃から日本のアーティストが頻繁に実践し、70年代に入るとテレビや雑誌などを通じて社会的に流行した「パロディ」。ありとあらゆる文化がパロディに染まったこの現象は、モダンとポストモダンの隙間に開花した徒花(あだばな)であったのか?
日本語として定着し、それでいてなお不明瞭なこのパロディという技術または形式を、当時の視覚文化を通じて振り返ります。

反抗から知略へ

日本の戦後文化史において、1970年代は前衛の後退とサブカルチャーの開花期として語られます。反抗と闘争に彩られた60年代から、軽やかな知略に富んだ70年代へ。この時代の様相を最も端的に象徴するのが「パロディ」です。

パロディの時代

70年代に入ってからにわかに週刊誌、グラフ誌、マンガ誌などで使用され始めたこの「パロディ」という言葉は、瞬く間に日常語として市民権を得ることになります。街頭やテレビにパロディ広告があふれ、赤瀬川原平の『櫻画報』(1970-71)が『朝日ジャーナル』をジャックし、筒井康隆が『日本以外全部沈没』(1973)を発表。創刊当初からパロディ・マガジンを意識した『ビックリハウス』(1974-85)は若者の圧倒的な支持を集め、「パロディ裁判」とも呼ばれた、マッド・アマノによるフォトモンタージュを発端とする訴訟は、1971年から足かけ16年も争われることになります。

生々しい交錯

本展は、モダンとポストモダンの隙間に開花したこのパロディという技術または形式を、あらためて検討します。パロディとはいかなる技術であるのか。風刺や模倣とは何が同じで、何が異なるのか。どのような場面で、どのようにして使用されてきた技術なのか。歴史を辿れば古代ギリシャにまで由来を遡れるパロディを、広く抽象的に眺めるのではなく、あえて一時代に焦点を絞ることで、生々しく具体的な表現と社会の交錯をあぶりだします。

貴重な出品作も

赤瀬川原平や横尾忠則など、時代を彩ったアーティストから知られざる作家まで。絵画、マンガ、グラフィックを中心に、出品作品・資料総数約300点の豊富な内容。めったに見られないマンガ原稿、貴重なテレビ映像、裁判記録など、珍しい出品作にもご期待ください。

今日的な意義

一からの創造ではなく既存物に手を加える、この、いわば「持たざるものの表現」について考えることで、今日のデジタル環境におけるオリジナル/コピーをめぐる議論を根本的に考える機会ともなれば幸いです。