歴史と未来をつなぐ東京駅の美術館 | 東京ステーションギャラリー

動き出す!絵画 ペール北山の夢
-モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち-

会期:2016年9月17日(土)−11月6日(日) 会期中一部展示替えあり

フィンセント・ファン・ゴッホ《雪原で薪を集める人びと》1884年 吉野石膏株式会社蔵(山形美術館寄託)

フィンセント・ファン・ゴッホ《雪原で薪を集める人びと》1884年
吉野石膏株式会社蔵(山形美術館寄託)

アピエール=オーギュスト・ルノワール《泉による女》 1914(大正3)年 大原美術館蔵

ピエール=オーギュスト・ルノワール《泉による女》
1914(大正3)年 大原美術館蔵

>斎藤豊作(さいとう・とよさく)《秋の色》 1912(大正1)年 泉屋博古館分館蔵

斎藤豊作(さいとう・とよさく)《秋の色》
1912(大正1)年

斎藤与里(さいとう・より)《木陰》 1912(大正1)年 加須市蔵

斎藤与里(さいとう・より)《木陰》
1912(大正1)年 加須市蔵

萬鉄五郎(よろず・てつごろう)《女の顔(ボアの女)》 1912(大正1)年 岩手県立美術館蔵

萬鉄五郎(よろず・てつごろう)《女の顔(ボアの女)》
1912(大正1)年 岩手県立美術館蔵

岸田劉生《黒き帽子の自画像》 1914(大正3)年 個人蔵

岸田劉生《黒き帽子の自画像》
1914(大正3)年 個人蔵

木村荘八(きむら・しょうはち)《壺を持つ女》1915(大正4)年 愛知県美術館蔵

木村荘八(きむら・しょうはち)《壺を持つ女》
1915(大正4)年 愛知県美術館蔵

大正8年頃 自宅にてアニメーション原画の制作中の北山清太郎

大正8年頃 自宅にてアニメーション原画の制作中の北山清太郎

【休館日】
月曜日(9月19日、10月10日は開館)、9月20日、10月11日
【開館時間】
10:00 − 18:00
※金曜日は20:00まで開館
※入館は閉館30分前まで
【入館料】
一般1000(800)円 高校・大学生800(600)円 中学生以下無料
※( )内は20名以上の団体料金
※障がい者手帳等持参の方は100円引き(介添者1名は無料)
【主催】
東京ステーションギャラリー(公益財団法人東日本鉄道文化財団)、読売新聞社、美術館連絡協議会
【協賛】
ライオン、大日本印刷、損保ジャパン日本興亜
【協力】
和歌山県立近代美術館

明治末から大正初期、日本ではヨーロッパ美術への関心が高まりました。その興味は、過去50年ほどに起こったセザンヌ、モネ、ルノワールなどの印象派、ゴッホやゴーギャンといったポスト印象派、未来派や、ピカソといったキュビスムなどの20世紀アヴァンギャルドまでの動向にまでおよびました。若き洋画家のなかには留学する者もいましたが、多くは雑誌の購読や、複製写真や版画による展覧会の鑑賞、洋書の貸し借りなどを通じて情報を得ました。彼らは同時代の西洋美術の情報をもとに、自らの絵画表現を新たな視野で自由に試み、世に問いました。まさに洋画界が動き、それまで日本になかった新しい作品が次々と誕生したのです。

青年画家たちは、発表の場、情報の入手、生活費などの問題を抱えていましたが、それを裏方として支え、近代美術の発展に寄与したのが北山清太郎です。北山は日本におけるアニメーション草創期の重要な3人のうちの1人に挙げられますが、当初は洋画界にその身をおき、岸田劉生や木村荘八ら、洋画家たちの活動を支援しました。そして、『現代の洋画』という美術雑誌を編集、刊行し、同時代の作家の活動や西洋美術の紹介にも積極的に努めました。また、絵具の販売や写生会の実施、作品の募集による懸賞事業等も行い、洋画の裾野を広げたのです。彼の活動に感謝した画家たちは、パリでゴッホら多くの若い画家たちを支えた画材商のペール・タンギー(ペール=おやじ)になぞらえて、ペール北山と呼ぶようになりました。

本展では、大正期の日本における西洋美術への熱狂と、それに影響を受けながら展開した前衛的な近代日本美術の動向を、“北山清太郎”という人物を手がかりにひもときます。当時若き洋画家たちが見たいと切望したであろう西洋美術、それに影響を受けて展開した油彩、彫刻など約130点と資料類が展示されます。北山が発行した『現代の洋画』等に掲載された作品、そして北山がかかわったヒユウザン会や草土社が行った展覧会の出品作や作家の大正期の代表作、草創期の日本アニメ映像など、盛りだくさんで贅沢な内容を、この機会にぜひお楽しみください。

ご紹介:「動き出す!絵画」展 展覧会の流れ

・第1章 動き出す夢 ―ペール北山と欧州洋画熱

明治末頃から、文芸誌『白樺』や書籍を中心に盛んに紹介され始めた西洋の美術。ここでは、『現代の洋画』、後継誌『現代の美術』や美術叢書で取り上げられた作家を中心に、明治末から大正期にかけて紹介された西洋の美術作品をご紹介。新たな洋画を志した若者たちが見たいと切望した絵画がここに集結します。
出品作家例:ロダン、ドガ、セザンヌ、ピサロ、モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソほか

・第2章 動き出す時代 ―新帰朝者たちの活躍と大正の萌芽

西洋美術の情報を得ようとする流れのなか、フランスを中心としたヨーロッパに留学した画家たちが、相次いで帰国します。留学者たちは現地で目にし、身につけた表現を自らの作品に投影し、かつ西洋美術の紹介者ともなりました。多彩な西洋美術の表現に影響を受けた若い画家たちが、日本的なアカデミズムとは相容れず、新しい美術を生みだそうとする流れをお伝えします。
出品作家例:藤島武二、南薫造、湯浅一郎、津田青楓、山脇信徳、中村彝、坂本繁二郎、浜田葆光ほか

・第3章 動き出す絵画 ―ペール北山とフュウザン会、生活社

1912(明治45)年10月、反アカデミズム的な洋画家たちによりヒユウザン会(のちのフュウザン会)が結成され、第1回展が開催されました。展覧会は2回で終了したものの、いわゆる「後期印象派」風の明るい色彩で荒々しい筆触の前衛的な画風が並び、注目を集めました。北山はこの画期的な会の事務局をつとめ、目録や雑誌を発行しました。解散後、高村、岸田らによって生活社が結成されました。
出品作家例:岸田劉生、木村荘八、斎藤与里、高村光太郎、萬鉄五郎、川上凉花、北山清太郎ほか

・第4章 動き出した先に ―巽画会から草土社へ

北山は、1914(大正3)年7月に『現代の洋画』を終刊、翌月から『現代の美術』を刊行しました。9月に日本画家中心の巽画会に設けられた洋画部の幹事として洋画部の主宰となり、機関誌の編集も手掛け、岸田や木村は審査員を務めました。翌年10月に現代の美術社主催による展覧会が開催され、これが草土社へと発展的に継承されましたが、北山が会に関わったのは翌年4月の2回展まででした。ここでは、草土社の画家たち、岸田や木村、椿などの作品を中心にご覧いただきます。
出品作家例:岸田劉生、木村荘八、高須光治、横堀角次郎、椿貞雄、中川一政、河野通勢ほか

・エピローグ 動き出す絵 ―北山清太郎と日本アニメーションの誕生

北山は美術界を離れ、映画の世界へと踏み出しました。1916年8月には、日活に嘱託として入社。その目的は絵を動かすこと、つまりはアニメーションを制作することでした。『美術雑誌』9月号の発刊後、北山は美術界から完全に退き、それまで日本人が制作したことがなかったアニメーションの制作に没頭します。翌年、ようやく最初の作品が完成し、日本人第一号とはならなかったものの、同じ年に最初に国産アニメーションを発表した日本人のひとりとなりました。北山の作品や大正初期の国産アニメーションをご紹介します。