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◆勇壮な武者絵をきっかけに、幕末の浮世絵界で大活躍した歌川国芳(1797-1861)。狩野派の号をもち、正統な画歴をもちながら、浮世絵、挿絵など幅広い分野で活躍した河鍋暁斎(1831-1889)の展覧会。
◆本展は幕末と明治、変革の時代に活躍した巨匠たちのエネルギー溢れる世界を楽しもうというもので、国芳お得意の猫を描く三枚続きの浮世絵や、横幅17mにも及ぶ暁斎の役者妖怪引幕も紹介します。 |
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展覧会概要 |
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勇壮な武者絵をきっかけに、幕末の浮世絵界で大活躍した浮世絵師、歌川国芳(1797-1861)。国芳は初代歌川豊国(1769-1825)門下にありましたが、北斎に私淑し、勝川派、琳派などに学び(『浮世絵師歌川列伝』中公文庫より)、これを糧として自らの作風を確立していきました。武者絵はもちろん、風刺画、美人画、歴史画、風景画と幅広い分野で精力的に活躍し、役者絵や風刺画など、浮世絵に対する幕府からの規制が激しくなるなか、機知に富んだ作品を発表し、庶民の喝采を浴びました。国芳は一門を築きあげ、そこからは芳幾・芳年などの優秀な弟子が育ち、その系脈は水野年方(としかた)、鏑木(かぶらき)清方(きよかた)、伊東深水(しんすい)と、昭和期まで続きました。
一方、狩野派の号をもち、正統な画歴をもつ河鍋暁斎(1831-1889)は、国芳門に6歳で弟子入りした経験があります(のちに暁斎は『暁斎画談』で楽しげな国芳門の様子を紹介しています)。9歳からは狩野派門に学び、19歳で狩野派の号を得て、その仕事で名をあげました。しかしこれにとどまることなく多彩な分野で活躍したのは、国芳門での経験があったのではと推測されます。暁斎は、内外を問わず絵を研究し、画鬼と称され、活発に制作、その名は明治期前半において、富裕層から庶民まで、抜群の知名度を誇りました。また、日本国内だけでなく海外にも知られ、例えば弟子のなかには近代日本建築界において、強い影響を及ぼしたジョサイア・コンドル(1852-1920)もいました。
本展は両絵師の作品を、1.役者似顔絵、2. 武者絵・風景画、3. 戯画・風刺画・動物画4.画稿類、5. 美人画とテーマといったに分けて比較検討するものです。
それぞれの絵師の特徴を生かし、浮世絵版画を縦3枚につなげる珍しい国芳の版画や、暁斎の横17mに及ぶ妖怪引幕、猫好きで有名な国芳の猫を描く版画や、暁斎の百円という当時の破格の高値で買い手がついた、あの鴉の肉筆画など、盛りだくさんの贅沢な内容になっています。 |
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