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東京ステーションギャラリーでは、新潟県蒲原平野を描いた画家・佐藤哲三(1910-54)の没後50年を機に、関東では初の大規模な回顧展を開催します。 本展は、油彩約70点、素描約30点に加え、児童画、書簡・資料等約50点を集め、風土に根ざし、絵画制作と教育に邁進した佐藤哲三の足跡をたどります。 |
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展覧会概要 |
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本展覧会は、主に郷土・新潟県蒲原平野を描いた画家・佐藤哲三(1910-54)の没後50年を機に開催される、関東では初めての大規模な回顧展です。 佐藤哲三は、1910(明治43)年、新潟県長岡市に生まれました。13歳の頃から絵を描きはじめ、17歳のとき、第1回大調和会展に落選しますが、そこで受けた梅原龍三郎からの教えが大きな励みとなり、独自の道を歩みはじめました。 スーチンあるいはファン・ゴッホの影響も見られるような太い線や、厚く盛られた鮮やかな彩色を特徴としながら、深い人間洞察も秘めた《赤帽平山氏》や《郵便脚夫宮下君》などの名作を描き、1930年と1931年、2年連続で国画奨励賞を受賞しました。若くして才能を発揮しはじめた佐藤哲三は、東京に進出するのではなく、郷里新潟に制作の基盤を置きながら、国画会を中心に活躍しました。1930年代半ばから1940年代初めにかけては、特にドイツの女流画家ケーテ・コルヴィッツへの共感から、農民の生活にモチーフを得て描いた作品も多く、そこに生きる人々の心情や風景を映しとりました。その後、「柿」シリーズをはじめ、故郷新潟の景色を好んで描きました。戦前の一時期においては、児童画の教育にも熱心に取り組み、その暖かい眼差しにも彼の一面が垣間見られます。戦後から亡くなるまでの約10年間には、病をおして作画に向かい、荒涼とした蒲原平野を抒情的に描いた《残雪》《みぞれ》《帰路》といった代表的な作品を次々と描き、国展に出品を続けていましたが、1954(昭和29)年、病に打ち勝てず、44歳の短い生涯を閉じました。 本展は、油彩画約70点、素描約30点に加え、児童画、書簡・資料等約50点を紹介します。風土に根ざし、同時に、世界的な視野にたって、絵画制作と教育に邁進した佐藤哲三の足跡をたどります。 |
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