「木遣り」とは木を遣り渡す(運ぶ)という意味で、重い木や石を大勢で運ぶ際、息をあわせるために唄ったものです。江戸では、町火消しの鳶たちのたしなみとして発展し、棟上や祝儀、また祭礼などの練り唄に転用されるに至り、江戸独特の木遣り唄が生まれたといわれています。
労働歌から祝唄へと転じた木遣り唄
機械がない時代、重い岩や大木などの運搬には多くの人の力が必要とされました。そこで、全員の力を結集する方法として、一人の号令にあわせながら重いものを運搬するという方法が編み出されました。この号令の役目となったのが、木遣り唄といわれています。このように木遣り唄はもとは労働歌でしたが、のどのよい者たちが酒宴などで披露するようになり、次第に祝唄としての性格を持つようになっていきました。
のどが自慢の兄弟が、江戸木遣りの始祖

力強く交互に掛け合い、唄い上げます

熱心に耳を傾ける聴衆たち |
江戸木遣りの始祖といわれるのが、寛政年間(1789〜1801)町火消しの神田よ組にいた喜六、弥六という木遣り名人の兄弟です。兄は声でほかに並ぶものがなく、弟は節上手であったそうです。木遣りは、音頭を出す木遣り師と受声をする側とで構成されていますが、木遣り師をアニ・オトと称するのは、この名人たちに由来するとされています。
兄木遣り(アニ)と弟木遣り(オト)は交互に声を出し、かけあいをするように、朗々と唄い上げていきます。今回の公演でも、江戸の粋を今に伝える男たちの堂々とした声が響き渡ると、会場の雰囲気は一変。身が引きしまるようなすがすがしい唄声に、皆聞き惚れていました。

社団法人 江戸消防記念会第二区は総勢60名。20代から80代までと、幅広い世代のメンバーで構成されています。「家は代々鳶職で、私で五代目」という筋金入りの江戸っ子の総代・中山喜太郎さんをはじめ、気っ風のいい「江戸」の男たちの集団です。 |

パワー溢れる江戸消防記念会
第二区有志の皆さん |

享保4(1719)年に誕生した日本初の自治消防組織、それが江戸の町火消しです。それより以前には店火消しと称して、火災が起きると町内から人足を集めていましたが、中でも最も威勢がよく、功名をたてたのが鳶職でした。これに目をつけた大岡忠相が鳶職を集め、「いろは四十八組」を編成したのが町火消しの起源です。町火消しは明治以降解散され、現在は江戸消防記念会となっています。そこで、梯子乗り・まとい振りと共に「江戸火消しの三種の神器」として、江戸木遣りは伝承に力が尽くされています。
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迫力ある唄声に感動
関谷芳子さん
子どもの頃、江戸木遣りを一度見たことがあるという関谷さん。
「本当に久々に見たのですが、また新鮮な感動を覚えました。独特の節回しで、唄も迫力がありとても良かったです」。 |
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