わが町の誇り、伝統文化「人形浄瑠璃」 300年以上の歴史を誇る「城若座」。松井田町の重要無形文化財に指定されているこの人形浄瑠璃は、地元の有志たちの「先祖代々の伝統芸能を継承したい」という熱意によって続けられています。八城の人形使いの特徴は、3人使いであること。3人がお互いの呼吸を読み、人形に魂を吹き込むことで、スケール感のある舞台を展開し、見ている者を物語の世界へと引き込んでいきます。
ほとんど全員が、本職のお仕事の傍らに年に5-6回の公演をこなしているとのこと。仕事との両立は大変なご苦労もあろうかと思うのですが、そんなことを少しも感じさせず、心底楽しんで生き生きと演じていらっしゃいました。 人形が見せる豊かな表情のヒミツ

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男性の人形の場合、眉毛と目が動くものの、基本的には顔そのものは変わらない人形浄瑠璃。細かいしぐさや動きで感情豊に表現するのも魅力のひとつです。同じ“泣く”しぐさにしても、お姫様なら袖のカゲで震えながら泣き、また立ち役の男の場合は、ゥワーッ、ハーッ、という大きい動きで表現するなどキャラクターの“型”をことさら大きく表現するのがポイントのようです。泣く場面は顔のあたりに注目しがちですが、よく見るとお姫様などは袖に添えられた指先も細かく反っていたりと、全身を使って細かく表現しているのがよくわかります。
なお、一番難しいのは女性の色っぽさを出すことだそうです。 |
体験して、受け継がれていく人形浄瑠璃の魅力
現在、城若座のみなさんは群馬県内の各小学校をまわり、伝統芸能教室として、人形浄瑠璃を紹介していらっしゃいます。子供たちは実際にこれらの人形に触り、操作を教わり、人形浄瑠璃を体験しているとのこと。その面白さに興味を持つ子供も数多くいるそうで、今後もこの素晴らしい伝統芸能が受け継がれていくことをみなさん楽しみにしていらっしゃいました。

「城若座」
群馬県碓氷郡松井田町の重要無形文化財に指定されている人形浄瑠璃の一座。
人形浄瑠璃や義太夫・三味線の伝習に大変熱心に取り組み、八城人形浄瑠璃の長い伝統と技にさらなるみがきをかけています。城若座という名前の由来:明治18年、松井田町に疫病が流行りました。祈祷師の、この村に昔からある人形を動かしたほうがよいとのお告げにより、忘れられていた人形浄瑠璃を、村の若い者が総動員して再現。その素晴らしさに、今後も八城地区で続けようということになりました。八城地区の若い衆が中心となって始めたところから、八城の「城」と「若」を組み合わせて「城若座」となったそうです。

今から300年間、碓氷峠や中山道に近かった八城村は、年貢のほかに労働や馬を提供する村とされ、その重い負担に苦しんでいました。そこで村の代表八人が、幕府に村の救済を直訴します。しかし村は救われたものの、彼らは所払いの刑に処され二度と村に帰ることは許されませんでした。その八人の霊を慰めるために始まったのが八城人形です。文楽人形の流れをくむ三人遣いの人形は、感謝の気持ちや恩返しを子孫に伝えるため農家の承継者などで「城若座」をつくり、民俗芸能として今日まで伝承されています。

絵本太功記は、織田信長が明智光秀に殺された本能寺の変から、豊臣秀吉が光秀を倒すまでのドラマチックな十三日間を、一日一段として実録風に表現した大作。これを浄瑠璃に脚色したものが本作品です。なかでも十段目は「太十」と略して呼ばれるほど繰り返し上演され、物語の見せ場が多い場面です。光秀の母の尼ケ崎の隠居先に光秀の妻、長男十次郎とその恋人初音が訪ねてきました。折しも旅僧に姿を変えた秀吉が一夜の宿を借りたところで幕が開きます。
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人形浄瑠璃に夢中です
小林一郎さん(群馬県)
「全国にこういう素晴らしい伝統芸能が残っているのは素晴らしい。普通の会社員の方とかがやっているのだろうが、これからも頑張って欲しい」
人形浄瑠璃に元々興味があり、地元の人たちが出ているということでかなり熱心に見入っていらっしゃいました。 |
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がんばって! お父さん
小島 愛さん(群馬県)
「父を見に来ました。いつも家でビデオを見て熱心に研究している成果が出ていると思います。生で見るのは初めてで、すごくよかったです。」
就職活動で近くに寄ったので、十次郎の左手で出演しているお父様を見に立ち寄られたそうです。家族にお父さんの姿を見せたいとも言っていました。 |
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