歴史と未来をつなぐ東京駅の美術館 | 東京ステーションギャラリー

『月映(つくはえ)』田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎


会期:2015年9月19日[土]―11月3日[火・祝]
September 19th - November 3rd, 2015

田中恭吉《冬虫夏草》1914年
愛知県美術館

田中恭吉《冬虫夏草》1914年
愛知県美術館

藤森静雄《永遠》1914年
和歌山県立近代美術館

藤森静雄《永遠》1914年
和歌山県立近代美術館

恩地孝四郎《望と怖》
1914年頃 個人

恩地孝四郎《望と怖》
1914年頃 個人

田中恭吉《死人とあとに残れるもの》1914年 和歌山県立近代美術館

田中恭吉《死人とあとに残れるもの》1914年 和歌山県立近代美術館

田中恭吉《失題》
1914年 個人

田中恭吉《失題》
1914年頃 個人

田中恭吉 《冬の夕》1914年 
水と緑と市のまち前橋文学館

田中恭吉 《冬の夕》1914年 
水と緑と詩のまち前橋文学館

藤森静雄《亡びゆく肉》1915年       愛知県美術館

藤森静雄《亡びゆく肉》1915年
愛知県美術館

藤森静雄《失題》 1914年頃
和歌山県立近代美術館

藤森静雄《失題》 1914年頃
和歌山県立近代美術館

藤森静雄 《夜》1914年
愛知県美術館

藤森静雄 《夜》1914年
愛知県美術館

恩地孝四郎《つきにひくかげ》1914年 愛知県美術館

恩地孝四郎《つきにひくかげ》1914年 愛知県美術館

恩地孝四郎《抒情 躍る》
1915年 愛知県美術館

恩地孝四郎《抒情 躍る》
1915年 愛知県美術館

恩地孝四郎《失題》1914年頃
和歌山県立近代美術館蔵

恩地孝四郎《失題》1914年頃
和歌山県立近代美術館蔵

【休館日】
月曜日(ただし9/21、10/12、11/2は開館)、10/13[火]
【開館時間】
10:00 − 18:00
※金曜日は20:00まで開館
※入館は閉館30分前まで
【入館料】
一般900円 高校・大学生700円 中学生以下無料
※20名以上の団体は100円引き
※障がい者手帳等持参の方は100円引き、その介添者1名は無料
【主催】
東京ステーションギャラリー(公益財団法人東日本鉄道文化財団)
【特別協力】
和歌山県立近代美術館

リピーター割引:本展会期中、本展入館券の半券を受付にご呈示いただきますと、入館料が500円になります。 半券は1枚につきお一人様1回限り有効。リピーター割引をご利用の際は裏面に確認の印を押させていただきます。他の割引との併用はできません。

東京駅が開業した1914年、三人の友情による画期的な雑誌が生まれました。
珠玉の作品集『月映』は、20代前半の美術学生、田中恭吉、藤森静雄、恩地孝四郎らによる木版画や詩をまとめた雑誌です。田中恭吉の死を迎えた頃、1年ほどで終刊となりましたが、日本の版画史に足跡を残しました。

大正初期、文芸誌『白樺』などでさまざまな西洋美術が紹介されました。 三人の学生たちはムンクやカンディンスキーらに刺激を受けつつ、独自の画境を切り開いた竹久夢二や周辺の人々からも影響を受け、自らの表現を模索します。 そんななか、自分たちの雑誌が、夢二と懇意の出版社から発刊されることが決まります。
当時の画家たちにとって、木版画による表現手段は主流ではありませんでしたが、三人はそれを跳ね返すように、自画・自刻・機械刷りによる木版詩画集づくりに熱中しました。 田中恭吉は結核を患い、命を削りながら、内面の葛藤を表出するような物悲しい木版画と詩を生み出し、藤森静雄は木版画の特徴を生かした内省的な作品を残しました。 そして、恩地孝四郎は『月映』創刊号の編集を一人でこなし、また、日本で最初期の抽象表現に到達しました。

本展は、公刊『月映』(洛陽堂)の紹介に中心をおきながら、三人の出会い、公刊『月映』の準備期間に制作した限定の私家版『月映』、田中恭吉の死後発刊された萩原朔太郎の初めての詩集『月に吠える』(田中恭吉ペン画11点と恩地の木版画3点を収録)に関連する作品や資料など、約300点を展示します。

展覧会構成

  1. I つくはえ前夜  三人の出会い、回覧雑誌『ホクト』、回覧雑誌『密室』
  2. II 『月映』誕生  木版画にかける夢
  3. III 『月映』出版  死によりて挙げらるる生
  4. IV 『月映』のゆくえ  青春の記念碑
    *会期中一部展示替えあり


田中恭吉(たなか きょうきち)

1892年に和歌山県和歌山市に生まれる。1910年、白馬会原町洋画研究所に入所し、1911年に東京美術学校予備科日本画科志望に入学。萩原朔太郎の詩集の装幀を頼まれるが、結核のため衰弱、1915年に郷里で亡くなる。遺作が恩地の手により萩原の詩集『月に吠える』に用いられた。

藤森静雄( ふじもり しずお)

1891年に福岡県久留米市に生まれる。1910年、白馬会原町洋画研究所に入り、1911年に東京美術学校予備科西洋画科志望に入学、1916年に東京美術学校を卒業。帰郷し中学校の教師となるが、再び上京し、日本創作版画協会や日本版画協会の創立に参加、春陽会にも出品した。1943年没。

恩地孝四郎( おんち こうしろう)

1891年に東京に生まれる。1910年、東京美術学校予備科西洋画科志望に入学、1911年、予備科彫刻科塑造部志望に入学。1918年に日本創作版画協会の、1931年には日本版画協会の創立に尽力。のち国画会会員となる。創作版画の推進者として活躍し、装幀や油彩画も手がけた。1955年没。