鶯沢八ツ鹿踊り装束整備事業
 

宮城県栗原市

鶯沢八ツ鹿踊りは、栗原村の長七と弟子の鶯沢の彦六が嘉永4年(1851)九曜紋の使用を許可された頃より伝わる郷土芸能である。

由来は勘太郎が鹿好きの息子を誤って撃ち以来息子と鹿の霊を弔うためにこの踊りをつたえたと言われている。(他に諸説あり)

本事業では消耗の激しい太鼓を購入し、この踊りの保存と伝承に努めたい。

 
鶯沢八ツ鹿踊り装束整備事業