長野
初期中山道整備事業

長野県塩尻市・岡谷市・辰野町

中山道は江戸幕府が定めた五街道のひとつとして重要路線であった。中山道が定められた当初は下諏訪より東堀・小井川・岡谷を通り三沢から小野峠を越え、更に牛首峠を抜け、桜沢(塩尻市贄川)に通じるものであった。これは時の勘定奉行大久保長安が江戸の町づくりのため多くの用材の必要から木曽の森林資源に着目し、運搬道として開発したものである。1615年頃に塩尻峠を通る道が出来るようになると中山道としては廃止されたが、権兵衛峠が整備されるまでは木曽谷と伊那谷を結ぶ道で最重要路として機能していた。このうち東堀から桜沢までが初期中山道とよばれている。

現在熟年層を中心に人気のある中山道の中でもあまり知られていない初期中山道(岡谷〜辰野〜贄川)において、周囲の自然、歴史・文化等に触れ、往時の中山道に思いを馳せ、この地への愛着を持っていただくことを目的としたウォーキングイベントを実施している。

近年、一過性のイベントのみならず1年を通しての利用者も増加傾向にある一方で、案内看板等が整備されていないことから、コースから外れ、間違ったコースで山道に入ってしまい戻り方が分からなくなってしまう人がいるなど、「道が分かり難い」「道に迷った」などの意見もあり、通年の利用に対して課題を抱えていた。

利用者からの要望に応え、安全確保と一層コースの充実を図るためにも、道標及び看板の設置が急務となっており、今回の支援により、道標・案内看板の整備を行い、歴史的価値のある初期中山道を肌で感じていただき、更なる地域の活性化を図りたい。

初期中山道整備事業
[閉じる]