盛岡
鵜住居観音堂復興事業

岩手県 釜石市

東日本大震災で流出し関係者によりレスキューされ、その後平成24(2012)年に岩手県指定文化財となった「木造十一面観音立像 附 胎内仏・木造僧形立像」は、約500年前となる永正7(1510)年の像背銘を持つ釜石・上閉伊管内では最古の室町時代後期の仏像で、中世時代の精神社会を表現した貴重な尊像とされる。しかし、安置していた観音堂が倒壊し安置の場がないことから、震災から10年を経て鵜住居観音堂を復興することになった。

鵜住居観音堂は東日本大震災において釜石市内で最も被害の大きかった鵜住居町にあり、そこに33年に一度のご開帳を固く守り続けてきた「木造十一面観音立像 附 胎内仏・木造僧形立像」が安置されていた。海岸から2q弱、長内川のすぐ側にあった小山家はもちろん観音堂も、陸と川を遡上した津波によって流出。幸い、観音堂をコンクリートブロック製の宝物庫としていたため本尊は流出を免れたが、行方不明となっていた頭上の小さな化物は、震災前から本像の調査を行っていた盛岡大学教授で平泉文化遺産センター館長の大矢邦宜氏(故人)が4月より学生らとともにレスキューにあたり、5月に発見。失われた蓮華の茎と胎内仏を納める底板は、京都から駆けつけた専門技師らによって修復され、翌年11月には岩手県の文化財として指定されたが、市内に保管施設がないことから観音堂が出来るまでの間、岩手県立博物館により安置されている。

今回の支援により、鵜住居観音堂を復興し、江戸時代の作と言われる不動三尊立像と千手観音座像、そして、平成26(2014)年作である、鵜住居身代わり観音像を安置することで、貴重な仏像を後世に残していく。

鵜住居観音堂復興事業 流失前の鵜住居観音堂
流失前の鵜住居観音堂
鵜住居観音堂復興事業
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