盛岡
「旧三上家住宅」改修事業

青森県佐井村

三上家初代は南部藩士であった野辺地三上才兵衛の佐井に移住した二男平助で、2代目庸達が享保15年(1730)に医業を始めた後、代々医師を排出してきた。

三上剛太郎は明治2年(1869)に八代目として誕生し、明治28年(1895)に医者となり、明治35年(1902)から村医を務めた。明治38年(1905)軍医として日露戦争の激戦地満州黒溝台に赴任した際、手製の赤十字旗を掲げロシア兵1名を含む74名の命を救ったことで勲功を受けた。

三上剛太郎の設営した仮包帯所(野戦病院の前身)が日本赤十字社誕生の先駆けとなり、「日本赤十字の父」とも呼ばれている。

本事業では建屋の外壁塗装、建具の修理等を行い、今後も三上家の軌跡を伝えていきたい。

「旧三上家住宅」改修事業
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