雪入の郷倉修繕事業
 

茨城県かすみがうら市

文化9年(1812)志筑藩家老横手郭応は領内に義倉の制度を設け、凶作に備えて貯穀を行った。

集落の規模により水倉、郷倉、群倉と呼ばれた倉を設置、雪入郷倉は雪入村分に建てられた間口3間、奥行2間の板倉で、籾や玄米を貯蔵していた。

25年前に茅葺屋根の葺替えを行ったが傷みが激しく茅も高額なため、本事業において銅板葺きとし、市指定の貴重な文化財を後世まで残したいと考えている。

 
雪入の郷倉修繕事業