岡麓(1877〜1951年)は、代々徳川家の御典医を勤めた家系に生まれ、書家・歌人として活躍した。正岡子規の門人で、島木赤彦、斉藤茂吉らとともに短歌結社紙「アララギ」の発展にも尽力している。昭和20年(1945年)5月、太平洋戦争末期に戦禍を逃れるため、東京から長野県の会染村内鎌(現池田町会染)に家族と疎開する。疎開先で娘と妻を亡くし、昭和26年(1951年)9月、麓自身も病が悪化し疎開先の民家で生涯を終えた。
岡麓の没後、麓が居住した民家は、家の土台が土に埋まり崩壊寸前となっていたところ、地域の人々による「岡麓翁遺墨保存会」が発足し、昭和55年(1980年)には復元工事が実施された。
今回の支援により、専門家の調査により「岡麓終焉の家」の傷みの状況を把握し、文化財保護委員会との審議会にて最優先で修繕する箇所を決定した上で補修、修繕を実施する。
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