桐生倶楽部会館は大正8年12月に完成した。設計者は当時新進気鋭の清水巌である。外観は当時飛びぬけて新しい様式「スパニッシュ・コロニアル様式」を採用したもので、屋根から伸びる5本の煙突にはスパニッシュ様式に特徴的な切妻の小屋根がついている。
大正9年から現在も営々と続く月次会(講演会)がはじまり、倶楽部社員や他の団体からの会館の利用が行われている。桐生を訪れた政官財および教育界の名士たちを受け入れる“桐生の客間”の役割、そして倶楽部社員の大切な親睦の場としての“桐生の茶の間”の役割を会館が担ってきた。
今回の支援により、経年劣化により腐朽・破損した建物北側の屋根瓦および屋根裏の修繕、建物北側と東側の窓の修繕を行う。
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