東光寺仏殿保存修理と伝承環境整備事業
 

山梨県甲府市

東光寺は、平安時代末期甲斐源氏の祖新羅三郎義光によって建立した。この時は興国院と称し、その後(1268年)蘭渓道隆により東光寺と改められた。鎌倉時代末には官寺となり戦国時代には武田信玄により甲府五山に列せられ、信玄の長男義信が自害した寺でもある。

仏殿以外は織田軍の焼き討ちにあい、甲府大空襲でもほとんどが焼失したが、仏殿だけは現存している。

別名薬師堂と言われ一重裳階付の入母屋造りで檜皮葺、仏殿は国指定重要文化財で内部の薬師如来像、薬師十二神将、蘭渓道隆の書簡及び庭園が山梨県文化財に指定されている。

本事業では外壁の板壁修復等と外国語文化財説明板新設を行う。

 
東光寺仏殿保存修理と伝承環境整備事業