秋田
史跡脇本城跡整備事業

秋田県 男鹿市

脇本城跡は、男鹿半島南側の脇本城地区に位置する中世の城跡で、安東氏の一族安東愛季が安土桃山時代の1577(天正5)年に大規模な修復を行い、居城とした城であるといわれている。男鹿市教育委員会では平成5(1993)年から遺構調査を開始、平成12(2000)年度から発掘調査を実施してきた。その規模は生鼻崎から本明寺の上の馬乗り場を経て、脇本第一小学校の兜ヶ崎までを含む、総面積約150haに及び、東北最大級といわれ、城の遺構は、多数の曲輪・土塁・空堀・井戸跡などの他、虎口と呼ばれる城の入口部などが確認され、発掘調査では当時使用した陶磁器などが出土している。

安東氏は津軽地方の豪族であり、鎌倉時代に北条得宗家に仕えた代官で蝦夷管領を勤め、その勢力は津軽地方から北海道南部に及び、秋田地方にはその一族である檜山安東氏、湊安東氏がそれぞれ北部の檜山城、中部の秋田湊城に拠点を置いた。安東愛季は元亀元(1570)年頃に安東氏を統一して既存の城を改修して脇本城を築いた。脇本城が廃城になった時期は明らかになっていないが、江戸時代の初頭と考えられている。また、史跡指定範囲内にある菅原神社は、安東氏が脇本城築城にともなって男鹿鎮護の総社として建立したといわれ、境内には男鹿市指定の天然記念物「天神様の細葉の椿」があり、江戸時代の紀行家の菅江真澄も『男鹿の秋風』に細葉の椿という古木があると記されている。

脇本城は、2017(平成29)年に公益財団法人日本城郭協会より「続日本100名城」に認定され、県内外からの来訪者が増加する一方、施設の経年劣化が進んでいる実情もあり、整備を進めていく必要がある。

今回の支援では、史跡脇本城跡登城口に設置されている、「脇本城跡」案内板の盤面更新を行う。また「天神様の細葉の椿」説明板支柱にひびが入り、災害時に壊れる危険性もあり、盤面も汚損してきているため修理・更新を行い、歴史ある脇本城跡を末永く後世に伝えていく。

史跡脇本城跡整備事業
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